石油流出事故 イギリスでは
     ・・48時間の”勝負”めざす。
海洋汚染対策部隊が国務大臣と同等の権限もつ。

(1月25日)                  戻る

 

石油流出事故 イギリスでは・・48時間の”勝負”めざす。
海洋汚染対策部隊が国務大臣と同等の権限もつ。

 日本と同じ海洋国家の英国は、多数のタンカーが通過する英仏海峡、北海に囲まれ、数多くの石油流出事故を経験してきました。その英国の石油流出事故対策と態勢はどうなっているのでしょうか。

◆強力な権限をもつ海洋汚染対策部隊
 英国には、船舶からの石油などの有害物質流出対策に全責任を負う専門チームがあります。海洋汚染対策部隊(MPCU)です。MPCUは、英国運輸省の沿岸警備局に所属し、隊員が24四時間態勢で近海の石油・有害物質流出事故を監視しています。
 英国の石油流出事故対策の特徴の一つは、政府、つまりMPCUがすべての責任をもつことです。船主とは情報や意見交換はしますが、船主は補償に責任をもつことになっています。数え切れないほど多くの国ぐにの船が近海を通過する英国では、船主の事故対策を待っていられないからです。
 直接のきっかけは、一九六七年の「トレイカニョン」号の事故でした。船主の事故対策を待っていて被害が拡大した経験でした。政府は69年に全責任をもつことを明確にしました。その後、78年にも重大事故が多発し、専門組織としてMPCUが79年、誕生しました。84年までは環境庁が責任を負っていた地方自治体との汚染除去での協力も、いまはMPCUに移されています。
 MPCUの隊員は12人です。少ないようですが、その責任と権限は絶大です。英国の商船法(1995年)は、海洋汚染事故対策では、MPCUに国務大臣と同等の権限を与えています。
 「船舶事故による海洋汚染にかんする防災計画」でも、「運輸省沿岸警備局はMPCUを通じて政府の責任を行使する」「MPCU以外の政府省庁、地方自治体、業界団体などが独自の防災計画を作る場合は、MPCUの計画に一致するものでなければならない」と明記しています。

◆沿岸警備隊と連携柔軟な指揮命令系統
 流出石油への理想的な対応は、着岸する前に海面から回収すること。しかし、海に流れ出した石油はあっという間に広がります。一立方メートルの石油は一万平方メートルの海面を覆います。流出後48時間たつた石油は手がつけるれない状態になるといわれています。そこで要求されるのがすばやい対応と十分な装備です。
 英国近海の石油流出の報告は、すべて沿岸警備局の沿岸警備隊に通報されます。その情報はただちにMPCUに入ります。もちろん年中無休24四時間態勢です。
 MPCUは入手した情報をもとに、被害の規模を想定、対応の態勢を決定します。最高指揮者(通常はMPCU隊長)のもとに各種の指示を出します。しかし、MPCUが何かの事情で対応できないときには、MPCUが対応するまで、流出を確認した哨戒機や沿岸警備隊員が最高指揮者の任につくこともあります。

◆指揮命令系統はとても柔軟です。
 96年にウエールズ地方でおきた大規模事故(7万2千トンの原油が流出)では、事故発生後8分で最初の指示が本部からでました。情報は不十分でしたが、事故をおこした船の石油積載能力を重視し、28分後には最大規模の事故に対応する態勢を組み、最終的には50隻以上の船舶と19機の航空機が出動しました。
 MPCUは、約1万6千トンの石油流出に48時間以内に対応できます。これに必要な装備や資材は全国21カ所の装備備蓄基地に保管されています。また、全国3カ所に3機の哨戒・分散剤投下機、4カ所のヘリコプター基地が事故に備えて常時待機しています。
 本部のあるサウサンプトンには、哨戒機2機、1機あたり5トンの分散剤投下能力を持つ航空機7機をはじめ、さまざまな装備・資材が3つの倉庫に備蓄されています。これらの装備・資材は、航空機は30以内、陸上輸送は2時間以内に基地を出発し、12時間以内に現場に届くように準備されています。

◆海面での回収でなく分散剤の投下が中心。環境保護団体などからの批判も
 事故対策を強力で柔軟な指揮命令で実施する態勢と同時に、もう一つの英国の特徴は、「現実には海上での石油回収は完全に効果的だったことはない」(防災計画)という立場から、対策の中心を分散剤の投下に置いていることです。
 石油回収船はサウサンプトンの本部にも一隻もありません。回収機械を小型船舶に乗せて現場に運ぶ態勢で、海上での石油回収能力は、理想的な条件の下で一時間あたり440トンです。
 分散剤は石油汚染とは別の環境汚染を引き起こす危険があります。そのため、事故対策で絶大な権限を持つMPCUも、分散剤使用の場合には、環境省、農漁業食料省とその影響を協議することになっています。しかし、環境保護団体などからの批判はいまも根強く残つています。