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奥山 ひろじのプロフィール  |
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| 1才のとき両親が離婚、養子先の3番目の養母に育てられる |
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| 1947年、8月25日に武生市に田中という家に生まれました。
1才のときに両親が離婚をしたため奥山家の養子になり、田中から今の奥山になりました。
3才で養母を亡くし、6才で養父を事故で亡くしました。そのため田中家の祖父が奥山さんを引き取りにきましたが、そのとき「何もしてやれんが、ぼろを着させてでも育ててみます」といってくれた養父の後妻である3番目の養母に育てられました。
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| 一生懸命働いても貧しい人がいるのはなぜか、と社会に疑問 |
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| 家は、田圃が4反、畑も1反しかなく現金収入が1銭もない状況で大変貧しく、盆暮れになると借金取りが来るため、“食う米”を渡して返済していたそうです。
また、学校では秋には遠足がありましたが、お弁当のおにぎりの海苔(のり)すらないために、さみしい思いをし、修学旅行の旅費4千円がないために、自分で親戚中を頼んでまわったそうです。
小学生の頃は、学校から帰ると兄弟の世話や養母を手伝い畑仕事をし、中学生になると夏休みには工場やペンキ塗りのアルバイトをして家の生活を助けていました。
その頃から、豊かな人がいる一方で、一生懸命に働いても貧しい人がいるのは何故かと社会に疑問をもつようになりました。
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| 国民が大事にされる社会の実現へ、日本共産党に入党 |
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| 1963年、中学を卒業し、福井鉄道株式会社に入社。敦賀市で働くようになるりました。
そして、青年の要求を実現するために社会に働きかけ頑張っている日本民主青年同盟(以下、民青)と出会いました。「国民が大事にされる社会へと政治を変えなければ、苦しい暮らしは変わらない」と教えられ、民青に加盟し、そこで哲学、経済学を学び理論を深め、日本共産党に入党しました。
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| 住民に奉仕する気持ちで、敦賀市議として5期20年間奮闘 |
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| 1979年、敦賀市議会議員に初当選。
奥山さんは、「妻は、富山県出身で浜辺に親戚もなく、町内でも知り合いは少なく当選する見込みはありませんでした」と、当時のことを振り返ります。
しかし、みなさまのご指示をいただき当選。以来、5期20年に渡り、「住民の暮らしを守り住民に奉仕をするつもりで」市民の立場にたつ市政を目指し頑張ってきました。
その後、敦賀市民に役立つ日本共産党の議員を、この敦賀市からも実現させるため、県政に挑戦。
1999年、福井県議会議員に初当選。
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