おく山ひろじ 必勝後援会ニュース

“おく山事務所開びらき”に200人以上が参加、

  おく山県議の再選4人の市会議員の当選を‥

 “なんとしても”勝ちとる決意かため合う  

発行:日本共産党敦賀市後援会

2002年 12月 26日 NO,8

(後援会内部資料)

 再選をめざすおく山ひろじ県議の事務所開きが二十二日、二百人以上の参加でおこなわれました。

 共産党福井県委員会を代表してあいさつした西村県委員長は「奥山県議はこの四年間、無駄な大型公共事業を改めて、県民の暮らし、福祉や営業、教育を守る県政をつくるために、共産党以外オール与党の県政と対決し全力をあげてきた。また、多くの生活相談では、相談者の痛みをわが痛みとして受け止め、その解決に力を尽くしてきた。そのかけがえのない県議の議席を守るために、みなさんの大きなご支援を」と訴えました。


 党敦賀市後援会々長の平野治和・つるが生協診療所々長は、「私が敦賀に来て八年間、何がうれしかったといえば、県議と敦賀市議4人の当選が一番だったと思う。奥山県議の敦賀市民、県民のためになんとしても当選する決意で、足の病気をものともせず、早朝から寒い中立って宣伝されている、その情熱・魂に、同じ人の命を守る立場の医師として心動かされている。後援会一同力を合わせて、再選を勝ちとろう」と呼びかけました。 地元後援会を代表してあいさつした金森吉之助さんは、「昨今の県内情勢は、長引く不況で倒産があいついでいる。さらに年金や医療など福祉の大改悪が実施されようとしている。こうした中、奥山さんを当選させ、少しでも私たちの生活が良くなるよう、地元の後援会として、全力で頑張る」と決意をのべられました。

北西七郎国鉄(JR)後援会々長は「日本共産党と奥山さんには、国鉄民営化闘争で大きなご支援いただきお世話になった。働く労働者の立場から、雇用を守るためにも奥山さんにはなんとしても再選を勝ちとっていただきたい」とのべました
新婦人内後援会の戸嶋久美子さんは「私たち女性の切実な願いを議会で取りあげて、いくつもの願いを実現してきたのが奥山さん。特に母親の願いである、乳幼児の医療費の無料化(子ども3人以上の世帯)を六歳まで実現した。この奥山さんをなんとしても当選させるため一緒に頑張りましょう」と呼びかけました。

党業者後援会を代表して福本誠・業者後援会々長は「業者の倒産があいつぎ、私たち中小業者の中でも国民年金が高くて払えない仲間が増えている。しかし、国のお金の使い方は逆立ちしている。奥山さんに頑張ってもらって、福井だけでも明るくしてほしい」と訴えました。   応援にかけつけた木島日出夫衆院議員は、「敦賀市には原発や塵廃問題など、国政・県政を変えなければならない問題が山積している。四年前に奥山議員が誕生し、国や県の無法をおさえてきた。奥山議員と党の実績を大いに語り、どんな反共攻撃もはね返して、よりいっそう前進させるために歯をくいしばってがんばりましょう」と激励しました。

 敦賀市議と市議候補を代表して河内たけし敦賀市会議員団長からは、市会議員選挙に立候補する、うえはら修一市会議員、大西みちよ市会議員、山本きよこ市会議員、ならびに河内たけし議員に代わって立候補するきご正勝市議候補が紹介され、「おく山県議の再選とともに、四人の市会議員の当選のため大きなご支援を」と訴えました。

 最後に決意をのべたおく山ひろじ県会議員は「いまの県政は、財政でも産業や農業でも国いいなり、県民ごまかしのゆきづまった県政。こうしたなかで、リストラされて生活苦からノイローゼになったという人から生活相談を受けたことを紹介。敦賀市民、福井県民が、安心してくらせる県政にしていきたい」と力強く支援を訴えました。

 第二部では、焼き鳥、餅つきやぜんざい、越前おろしそばの模擬店も行われ、参加したみなさんは、楽しく歓談しました。

おく山事務所びらきで勢揃いする(左から)河内たけし市会議員団長、大西みちよ市会議員、山本きよこ市会議員、おく山ひろじ県会議員、うえはら修一市会議員、きご正勝市会議員候補。

おく山ひろじ県会議員って、こんな人・・。

  奥山裕二さんの略歴を紹介します。 

ごみ持ち込みをやめさせた

市民に役立つ県議を! くらしと福祉、雇用を守る県政

私の決意

 みなさまのご支援で県議に当選させていただき、はや三年が経ちました。

 これまで県議会では、市民の声を行政に届けるため、ゴミ問題をはじめ原発、福祉、教育問題など発言させていただきました。

 いよいよ二期目に挑戦する県議選が近づいてきました。今日の景気の低迷は著しい限りです。しかし、少しでも回復の兆しが表れるよう、みなさんの暮らしがよくなるよう、今後とも初心を忘れず、これまでの経験を十分生かし、みなさんのお役に立てる議員として、引きつづき頑張りたいと思います。

 更なるご指導、ご支援をよろしくお願いいたします。


一才のとき両親が離婚、養子先の三番目の義母に育てられる 

 奥山さんは、一九四七年に武生市の田中という家に生まれました。一才のとき、両親が離婚したため奥山家の養子になり、田中から今の奥山になりました。

 三才で養母を亡くし、六才で養父を事故で亡くしました。そのため田中家の祖父が奥山さんを引き取りにきましたが、そのとき「何もしてやれんが、ぼろを着せてでも育ててみます」といってくれた養父の後妻である三番目の義母に育てられました。

一生懸命働いても貧しい人がいるのはなぜか、と社会に疑問

 家は、田圃が四反、畑も一反しかなく現金収入が一銭もない状況で大変貧しく、盆暮れになると借金取りが来るため、〃食う米〃を渡して返済していたそうです。

 また、学校では秋には遠足がありましたが、お弁当のおにぎりの海苔(のり)すらないために、さみしい思いをし、修学旅行の旅費四千円がないために、自分で親戚中を頼んでまわったそうです。

 奥山さんは、小学生のころは、学校から帰ると兄弟の世話や義母を手伝い畑仕事をし、中学生になると、夏休みには工場やペンキ塗りのアルバイトをして生活を助けていました。

 その頃から、豊かな人がいる一方で、一生懸命働いても貧しい人がいるのはなぜか、と社会に疑問を持つようになりました。

国民が大事にされる社会へ、日本共産党に入党

 中学校を卒業して、福鉄バスに入社し、敦賀で働くようになりました。そして、青年の要求を実現するために社会に働きかけがんばっている日本民主青年同盟(以下、民青)と出合いました。

 「国民が大事にされる社会へと政治を変えなければ、苦しい暮らしは変わらない」と教えられ、民青に加盟し、そこで哲学や経済学を学び理論を深め、日本共産党に入党しました。

住民に奉仕をする気持ちで、敦賀市議を20年務め、前回県議に初当選。今回再選めざす

 一九七八年に三二才で市会議委員に立候補します。奥山さんは「妻は、富山県出身で親戚もなく、町内でも知り合いは少なく当選する見込みはありませんでした」と、当時のことをふりかえります。しかし、みなさまのご支持をいただき当選。以来五期二十年にわたり「住民の暮らしを守り、住民に奉仕をする気持ちで」市民の立場にたつ市政をめざしがんばってきました。

 そして前回、敦賀市民の立場から県政にハッキリとものをいう県議がいないことを痛感。県議選に打って出て、みなさんのご支援で見事に当選を勝ちとりました。

 この四年間、奥山さんはゴミ持込をストップさせる、ムダな税金の使い方を改めさせるなど、敦賀市民になくてはならない県議として頑張ってきました。これまでの市会議員としての経験を生かし、さらに敦賀市民に役立つ日本共産党の県会議員として連日奮闘されています。みなさんの大きなご支援を心からお願いいたします。