◆動燃の爆発事故3つの疑問一事故経過発表にみる 

(97年3月20日付け赤旗)                  

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 茨城県東海村の動燃・使用済み核燃料再処理工場の11日の火災・爆発事故では、動燃発表の事故経過からいくつもの疑問が浮かびあがっています。

●温度警報鳴り「画像が白く」というが

初期火災の真相は・・?
 11日午前の同工陽のアスファルト固化処理施設の火災は、11日の事故速報では午前10時8分とされていました。ところが、これは火災を報告した時間で、実際には午前10時6分。同室の排気装置で温度警報が鳴ると同時に「画像が白っぽくなったことを確認した」と訂正しました。
 この画像は未公表ですが、室内に煙が突然充満したとするにはいくつも疑問があります。同工場の小山健二副所長らによると、この室内は160〜200度のアスファルトから水素や気化ガスがでているため、大量に排気ダクトで換気しています。動燃の『再処理工場の建設から運転まで』によると、長さ約25メートル、幅5メートルの室内を60分で10回も空気を排気しています。
 排気装置がすすの目詰まりで停止するのは同10時18分。
 現場にかけつけた作業員が、午前10時8分ごろ、すでにのぞき窓部のガラスが割れ、コンクリートと窓ガラスの間から煙がもれていた、という事実を動燃関係者に話しています。
 大量の室内排気がされる一方で、ガラスをわり、煙がしみ出すほどの急激な圧力上昇が瞬時におこっていたことになります。画像に映し出されているのは、動燃が11日の第一報でいうようなぼや火災ではなく、はげしい爆発ではなかったのか。この事実を隠すため、茨城県知事が首相に現場のテレビ監視を要望するまで、その存在を隠さざるをえなかったのではないか。疑問はぬぐえません。

●スプリンクラーで消火
なぜ、炭酸ガス消化器を使わなかったのか


 午前10時12〜13分。
 現場の作業者がスプリンクラーで消火しました。しかし、作業者は消火責任者の課長代理と相談し、マニュアルに書かれた同室内(セル)の炭酸ガス消火をおこないませんでした。
 勤燃の職員はつぎのように証言します。「セルの窓から煙が漏れているような圧力がかかっている状態で、炭酸ガス消火を作動させればもっと危険な状態になる。炭酸ガスはすぐに施設全体に充満し、自分だけでなく作業者全員が窒息死してしまう。そんな操作はできない」
 動燃は16日、午前10時13分からつぎつぎ放射能(半減期約三十年のセシウム137など)漏れを知らせる警報がでて、マスクをしなくてもいい区域に拡散が始まっていたことを発表しました。別の職員は「そんな状況で操作区域にとどまって連絡や操作をおこなっているのは非常に恐ろしいこと」といいます。
 動燃は当初、午前10時13分にのぞき窓から「鎮火」を確認したと発表しました。しかし、東海消防署は、同じのぞき窓から中は見えなかったと話し、矛盾しています。
 消火マニュアルどおりの炭酸ガス消火を怠ったのではなく、午前10時すぎにおこった事故が、この操作ができない重大な事態だったのではないのか、という疑問はますます膨らみます。しかし、動燃は、今回の消火操作を「現場の作業者と課長代理が相談して判断したこと」と説明。判断の根拠は何ひとつ明らかにしていません。

●84年5月にも火災事故
なぜ、過去の教訓がいかされなかったのか

 1984年5月に今回と同じ施設で、火災事故が発生しています。しかし、当時、動燃は消防法上の火災ではないとして、東海消防署にも報告せず、その後も現場に一歩も立ち入らせず、後になって「現場」写真を示しただけといいます。
 動燃は「煙が出ただけ、外部への放射能の影響、作業員の被ばく、施設への影響はない」として、科学技術庁に法律にもとづいた報告もしませんでした。
 しかし、今回事故をおこした施設は、西ドイツ(当時)、ベルギーなどの国際協力で設立されたユーロケミック社から技術導入したもので、81年12月にすでに、ユーロケミック社の・ベルギーにあるアスファルト固化施設で「爆発火災」が発生、16週間も運転が停止していました。
 ユーロケミック社の事故は、充てん後約8時間たったドラム缶内で発生。放射性廃液が関与する「発熱分解反応」で生成したガスへの引火が引き金でした。
 動燃関係者によると、アスファルトは熱が冷めにくく、内部の熱が均等にならないという熱管理上の難問をかかえています。ドラム缶に充てん後、廃液の水分が蒸発するためふたができず、そのまま約40時間にわたって冷却する必要もあります。「発熱分解反応」の危険と温度管理上の難問をかかえているにもかかわらず、国の安全審査でも「火災事故が起こるとは考えられない」として、その後安全審査指針が改定されても「耐火・耐爆」施工はおこなわれませんでした。