瀬戸内海を原発の危険から守り、21世紀の

エネルギー問題を考える全国交流集会(01/9/22〜23

 「瀬戸内海を原発の危険から守りエネルギー問題を考える全国交流集会」が2001年9月22日〜23日の日程で開催されました。嶺南地区委員会からは、河内猛市議会議員、山本雅彦氏が参加しました。参加者の報告を紹介します。

集会参加者が報告・・・・ 山本雅彦  2001/9/26
はじめに、この集会参加に当たりまして、みなさんから多額のカンパをいただきましたこと、深く感謝申し上げます。

1、緊急要求が提起され、問題解決への積極的提案示す。
 私は、愛媛県松山市の文教会館で開かれた「瀬戸内海を原発の危険から守り、21世紀のエネルギー問題を考える」全国交流集会に参加させていただきました。
 この集会は、@原子力のあらゆる分野からの「安全神話」の一掃、A伊方原発などの耐震安全性確保のために、活断層調査の実施、耐震設計審査指針の抜本的見直し、
B既設原発への「ブルサーマル」計画の導入反対、C苛酷事故を想定した原子力災害対策と独立した原子力規制機関の確立、
集会で嶺南の原発問題について発言する河内猛嶺南連絡会代表員(敦賀市議)。2001年9月23日 松山市にて
D上関新型超大型原発(ABWR)の新規立地反対、Eいかなる原子力施設へのテロ、報復攻撃にも反対、F「第9次原子力研究開発利用長期計画」を見直し、プルトニウム利用政策の中止と原発依存からの段階的撤退、G風力、マイクロ水力、太陽光発電など新エネルギー開発と省エネルギーで、21世紀のエネルギー政策の確立、などの緊急要求が提起され問題解決への積極的提案も出されました。

2、「安全神話」が振りまかれることは、国民の安全にとって重大事態。
 「安全神話」を一掃することについて、中村敏夫筆頭代表委員は、政府、電力会社は、「苛酷事故は起こらない」との「安全神話」を振りまいていることについて「『安全神話』が事故発生をおさえる保障にはなりえず、むしろ、事故発生の重大な誘因となることは、JCO臨界事故の最大の教訓」であると指摘しました。
 そして、「安全神話」の具体的内容について政府が、「もんじゅ」ナトリウム漏れ・火災事故(95年12月)、東海再処理工場火災・爆発事故(97年3月)、JCO臨界事故(99年9月)への根本的反省もないままに、既定の原発推進政策とプルトニウム利用政策の継続を「宣言」する「第9次原子力研究開発利用長期計画」いわゆる「長計」を昨年末、決定したことについて同委員は、「このことは、日本列島各地の原発の危険、核燃料サイクル施設の危険、放射性廃棄物施設の危険を、格段に増大させざるをえない」と強調。さらに「日本には、万が一の苛酷(シビアアクシデント)事故を想定した原子力災害対策がないばかりか、独立した原子力の規制機関もない。こうしたもとで、『長計』が推進されることは、国民の安全にとって重大事態」だと警告しました。

3、地震と原発の安全性と耐震設計審査指針の抜本的見直しにつて。
 地震と原発の安全性について、新潟大学理学部の立石雅昭氏は、「兵庫県南部地震以降、非活動的であった日本列島が再び活動的になった」と指摘。特に最近では、その地震が日本列島の西南部で多く発生していると分析し、こうしたなか、「地震特定観測地域内」における上関巨大原発の立地は、伊方原発と合わせ、瀬戸内海の安全にとって重大な事態であるとの認識を示しました。
 また、原発の耐震設計について渡辺三郎代表委員は、「兵庫県南部地震で、岩盤上(神戸大学のトンネル内)の地震動だとされる程度の揺れで、日本の原発は、どこの原発であれ、重要施設であっても、容易に破壊されうることが明らかになっており、原発耐震設計と設計審査指針は見直しが必要である。原発耐震設計の基礎は、今日の学問の上ではすでに破綻している」と指摘しました。
 そして、石橋克彦神戸大学教授の言葉を引用し「今の原発耐震設計の審査の基礎的考え方は、根本的誤りである。とくに活断層の長さで地震の大きさを決めるのは誤りである。活断層というのは表面にできたキズにすぎず、したがって活断層の長さで地震の大きさを決めることはできない。できるかのように言っている『松田式』は、式の中に重大な矛盾を含んでいて、なんら科学的な裏付けをもっていない」と強調しました。
 集会では、国民は地震災害と、地震を契機とする苛酷事故の発生による原子力災害が重なる「原発震災」が起きることを、もっとも心配しているとし、耐震設計審査指針の抜本的見直しとその対策が必要であることを確認しました。

4、新エネルギー開発と省エネルギーで、21世紀のエネルギー政策の確立を。
 この集会は、「21世紀のエネルギーを考える」集会でもありました。
 この問題で本島勲(元電力中央研究所)さん(代理報告・柳町氏)は、「火の発見が人類にとってどういうものであったかということから、薪を使う時代、それから石炭への時代、産業革命の時代、そして、20世紀に入って石炭全盛期、さらには大油田の発見による石油への転換、さらには石油代替としての原子力エネルギーの開発事業、その後、原子力エネルギーという段階に入って、いかに人類のための文明を切りひらく上で、エネルギー消費量が高くなっているか、特に産業革命以降、これは尻上がりという状態だ」と指摘。
 さらに、「この構造はよく見ると、格段に高くなったエネルギー消費量のうち、すべて地球上の人類が、みな高いエネルギー消費をしているわけではなく、その大半は主要国であるアメリカ、日本、ドイツ、フランス、カナダ、イギリス、イタリアだけでも、その消費量の46.3%を占めており、地球の全体を考えれば原始時代より、少し進んだところのエネルギー消費のレベルの国もある」と強調しました。
 本島氏は、主要国の中に見られる過剰生産と浪費の問題を指摘。大量のエネルギーを消費し、生産(過剰生産)・消費(浪費)、そして廃棄(捨てる)という非循環系の流れの発展によって、「地球温暖化」や「環境ホルモン」の問題など、今日の人類の生存をおびやかす危機的実態が環境問題の中に見られると警告されています。そして、「21世紀のエネルギーを考える」とき「自然界では、生産者(植物)・消費者(動物)そして廃棄物の処理者(微生物)の三者が互いに共生し共存する循環系を形成している。この循環系は太陽エネルギーによって何億年も継続している。本来人類は、動物の一種であり自然の構成要素である。今、自然と共生し互いに共存した循環系の形成が求められているのではないか。この循環系は人類と地球が生存する限り継続させなければならない。そして、この循環系を維持し、継続させるのがエネルギーなのである」と指摘。エネルギーとはなにか、その理念を転換し、「自然と共生、共存した循環系を維持、持続させるエネルギー」として、太陽エネルギーを源としての太陽光発電、水力発電(小型水力)、風力発電の推進を提唱。あわせて、自然と共生、共存の視点からの電気事業法や環境アセスの見直しを提起されました。
 また、中村筆頭代表委員は、「原発問題全国連絡センターは、松山市と姉妹都市である米サクラメント市(98年)、独フライブルク市(01年)に調査団を派遣し、環境にやさしい、安全なエネルギー開発に市民とともにとりくんでいる姿の一端を見る機会に恵まれた」と報告。さらに、「両市がそうした『エコシテイー』への展望を切りひらいている前提に、原発立地反対の住民運動の勝利があったという共通の経験は、原発依存をやめることが、省エネルギー、新エネルギー開発へ大きく歩をすすめる契機となることを示している」と指摘。「私たちは、原発依存のなかにあっても、代替エネルギー問題への住民運動としてのとりくみについても、その重要性を確認した」とのべました。

5、いかなる原子力施設へのテロ、報復攻撃にも反対。
 原発施設へのテロ、報復攻撃について、民青同盟の愛媛県委員長は、「青年は原発施設へのテロ攻撃について、たいへん心配している」と発言。青年の中でも原発問題は関心が高まっており、学習会など開いていきたいと報告がありました。
 また、河内猛嶺南連絡会代表委員からは、「原発施設へのテロ攻撃は、許されない。政府にこの集会の名で、そのよう事態にならないよう対策をとるよう申し入れをしてはどうか」との提案があり、次の政府への申し入れの時に行うことになりました。

6、国民の安全が保障される方向への根本的転換を。
 最後にこれまでの運動の成果として、「この集会が掲げた原発の危険に反対する緊急要求は、圧倒的な国民が共有しうるものと確信する。私たちの運動が世論と結びついたときには、新潟県巻町の巻原発立地反対の住民投票の勝利、三重県南島町の芦浜原発の白紙撤回、新潟県刈羽村のプルサーマル導入反対の住民投票勝利など、大きな成果を挙げ、また、私たちの住民監視の運動が日本での苛酷事故発生の未然防止の力として機能してきていることに大きな確信をもっている」と報告されました。
 そして、「原発の危険、核燃料サイクル施設の危険、放射性廃棄物施設の危険に反対する国民的な運動の前進に全力を尽くすとともに、無責任な政府、電力会社の原子力政策をくいとめ、国民の安全が保障される方向への根本的転換をめざすために、国民のみなさんとの共同を」と呼びかけました。
終わり

◆参考
原発の危険を広島市民に知らせて、上関原発建設反対運動に連帯する
・・上永さんの発言要旨(原発を考える広島の会)

 JCO臨界事故(99年9月20日)は、とりわけ被爆地ヒロシマには大きな衝撃でした。事故の真相がしだいに明るみの出るにつれて、ヒロシマ原爆被爆者の苦しみと死の意味をより鮮明にするものだったからです。
 大内さんの被ばく量は16〜20シーベルトと報道されました。大内さんの体の6割は放射線に焼かれ皮膚から体液がしみ出るのと、下痢などによって体中の水分が失われ、一日10リットルの点滴が必要でした。放射線によって皮膚のもとになる遺伝子が傷つけられ、細胞分裂が阻害さえれ、生命再生をする機能が破壊されたのです。
 これは、原爆被爆者が「水を下さい」と言って、悲痛なうめきをあげながら死んでいった原因が何であったのかを示していました。
 もちろん大量殺りくを目的とした核兵器の被害と、原発の事故を同列に置くことはできませんが、放射線の人体にあたえる被害には共通するものが多くあります。
 広島県内に原発がないこともあり、原発問題で運動することはありませんでしたが、JCO臨界事故から10日後、県原水協、県被団協、民医連による合同の調査団が現地に派遣され、被爆地の経験を生かした救護活動で地元住民や医療関係者を激励しました。
 広島では、各種学習会や宣伝行動がとりくまれ、その年の12月に大内さんが亡くなられたときにも集会が行われ、こうした中で原発問題を考える組織が必要だと痛感させられ、事故後4ヶ月後に会が組織されました。
 今後、原発の危険を広島市民に知らせて、上関原発建設反対運動に連帯していきたいと思います。