注水冷却停止 配管の金具点検せず‥福島第1、100カ所検査し直し再開

追跡 原発利益共同体/東電広告費 116億円、昨年度

福島知事 原発ゼロ表明/ふるさと傷つけられた

原発災害を考える 歴史的検証と未来への提言/BS11番組 不破社研所長語る
東電の責任追及 噴出/株主総会 原発撤退求める提案も/所要時間最長 6時間超
(「しんぶん赤旗」2011/6/29)


注水冷却停止 配管の金具点検せず‥福島第1、100カ所検査し直し再開

 東京電力は28日、福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)のタービン建屋地下などにたまった高濃度汚染水を処理して原子炉に戻す「循環注水冷却」が処理水の漏えいで停止した問題で、処理水の流量調整の際に配管をつなぐ金具がゆるんで、配管がはずれたと発表しました。金具の事前のチェックはしていなかったといいます。金具を修理し、同様の100カ所の点検を目視で確認したとして同日、注水を再開しました。

 配管は「かしめ」と呼ばれる金具で締めつけてつないでいます。東電によると、水漏れが見つかった付近で、作業員が処理水の流量を弁で調整していた際に、金具がゆるんだため配管がはずれたといいます。作業員によると、漏れたのは2分間程度で、最大1トンとみられます。処理水の放射能濃度は1立方センチ当たり3・5ベクレルで、国が定める敷地外へ出せる濃度限度の88倍です。注水再開後も、別の場所で水のにじみが見つかりましたが、注水に支障はないとしています。

 東電は、注水前に配管などのチェックを終えていると述べていましたが、28日の会見では、流量調整による確認などはしていなかったといいます。再開後の漏えいなどの監視も1日1回はしたいといいますが、具体的なことは検討中としています。汚染水の処理は継続しており、これまで7230トンを処理し、淡水化処理を終えたのは2250トンです。

 一方、2号機原子炉の水素爆発予防のための格納容器への窒素ガス注入について、経済産業省原子力安全・保安院は問題ないと東電に伝えました。28日夜にも窒素ガス注入を始めます。


追跡 原発利益共同体/東電広告費 116億円、昨年度


 東京電力は28日の株主総会への事業報告で、「投資費用削減を徹底するとともに、保有する資産の売却や事業の整理、組織・グループ体制のスリム化を早急に検討・実施」と述べています。その陰でほとんど手をつけられてこなかった予算があります。年間、200億円を超える普及開発関係費です。

 「広告宣伝費は2010年度実績で約116億円」。東電の西沢俊夫新社長は28日の株主総会で答えました。東電の財務状況を示す有価証券報告書には、「広告宣伝費」の項目はありません。東電の広告宣伝費は「普及開発関係費」に含まれています。

 「普及開発関係費」とは、東電によると、電力事業のPRのための費用で、広告宣伝費のほか各地の電力館の運営や各種キャンペーンなどにも用いられる予算です。

 1966年7月、茨城県東海村で営業運転を開始した東海発電所(日本原子力発電株式会社)が日本における最初の商業用原子力発電所でした。その後、福井県敦賀1号機(70年、日本原電)、福井県美浜1号機(70年、関西電力)と、次々と商業用原子力発電所が営業運転を開始。東電も71年に福島第1原発1号機の営業運転を開始します。

45年で30倍

 原子力の商業利用がはじまる1年前の65年度からの東京電力の「普及開発関係費」の推移を有価証券報告書で調べました。65年度の7億5000万円から09年度の243億円へ、45年間で30倍以上もの急膨張をしています。

大手紙を総なめ 原発推進広告掲載
「朝日」から始まった‥事故のたびPR費膨張

 東京電力の「普及開発関係費」が急増している時期があります。70年代後半、80年代後半、2000年代前半などです。

広がる「逆風」押さえ込みへ

 東電が編さんした『関東の電気事業と東京電力 電気事業の創始から東京電力50年への軌跡』(「東電50年史」)は70年1月から用地買収に着手した柏崎刈羽原子力発電所の建設について、「激しい反対運動にさらされた」と指摘しています。

 74年9月には原子力船「むつ」が出力上昇試験中に放射線もれを起こし、「むつ事件」の発端となりました。また、79年には米国スリーマイル島で当時としては最大の冷却水喪失事故が起きました。

 80年代後半における最大の原子力事故は、ソ連(当時)のチェルノブイリ原発事故(86年)でした。

 80年代後半から90年代にかけての時期について「東電50年史」は、「原子力開発にとって『逆風』ともいえる事態が、この時期にはいくつか出現した」と明記。原発の安全性に対する不信感の広がりや反対運動の盛り上がりとともに、「普及開発関係費」は膨らんでいきました。

 00年代では東電を中心に原発事故隠しやデータ改ざんなどが発覚しました。04年には新潟県中越地震で柏崎刈羽原発が停止しました。

業界をあげてメディア対策

 メディア対策は、東電だけでなく、電力業界全体の課題でした。東京電力や関西電力、中部電力など電力10社で構成する電気事業連合会で71年から82年にかけて広報部長を務めた鈴木建氏は回顧録『電力産業の新しい挑戦』の中で赤裸々にメディア対策を語っています。

 鈴木氏は原子力の広報費について、「単なるPR費ではなく、建設費の一部」と位置づけ、原発立地対策や世論の動向に広報費を最大限生かします。

 広島に原爆が投下されてから29年目となる74年8月6日、「放射能は環境にどんな影響を与えるか」と題した10段広告が朝日新聞に立ち現れました。

 74年当時、朝日新聞は石油ショックのあおりで広告が減少し、意見広告を多く掲載しようという議論がありました。その中で、原発推進の意見広告も受け入れるという結論が出されたといいます。

 このとき朝日新聞への広告を取り仕切ったのが電事連の鈴木氏です。鈴木氏は「朝日は読者がインテリ層であるから、硬くはなるが、第三者によるPRということで学者や専門の研究所員を動員した」などと振り返っています。

紙面づくりに影響を及ぼす

 朝日新聞への10段広告は、その後2年にわたって毎月欠かさず掲載され、76年以降も数カ月に1回程度は掲載されました。この広告が思わぬ効果をもたらしました。

 最初に反応したのは読売新聞です。読売新聞の広報担当者は「原子力は、私どもの社長の正力松太郎(初代原子力委員長)が導入したものである。それをライバル紙の朝日にPR広告をやられたのでは、私どもの面目が立たない」と読売新聞への出稿を求め、掲載するようになります。

 朝日新聞、読売新聞に定期的に原子力発電のPR広告が掲載されるようになると、次は毎日新聞からも要請が来ました。しかし、毎日新聞は当時、原発に反対するキャンペーン記事や「政治を暮らしへ」というシリーズを掲載していました。

 鈴木氏は毎日新聞の広報部に「御社のエネルギー問題への取り組み方針はどうなっているのですか。反対が天下のためになると思うのなら、反対に徹すればいいではないですか。広告なんてケチなことは、どうでもいいではないですか」「消費者運動を煽(あお)って企業をつぶすような紙面づくりをやっていたのでは、広告だってだんだん出なくなりますよ」などと迫ります。

 鈴木氏によると結局、毎日新聞は編集幹部も含めて、原子力発電の記事を慎重に扱うと約束し、「政治を暮らしへ」シリーズも紙面から消えました。

 鈴木氏は「毎年“原子力の日”の政府の原子力広報が全国の地方新聞に掲載できるようになったのも、朝日へのPR広告の掲載が道を開いたものだと思っている」とも語ります。「原発マネー」が新聞を総なめしたのです。(清水渡)


福島知事 原発ゼロ表明/ふるさと傷つけられた

 福島県の佐藤雄平知事は27日の県議会本会議で、「原子力に依存しない社会をめざすべきとの思いを強く持つに至った」とのべ、初めて原発ゼロの姿勢を明らかにしました。

 有識者による県復興ビジョン検討委員会は、「原発依存からの脱却」を基本理念とした県への提言原案を確認し、佐藤知事の態度表明が注目されていました。

 同知事は、「東京電力福島第1原発の事故は、いまだ収束の兆しが見えないきわめて厳しい状況がつづき…原発の安全神話は根底からくつがえされた」と指摘。町村ごと避難に追い込まれた自治体の困難さや、農林水産業、製造業、観光はじめあらゆる分野で危機に直面し、「ふるさと福島が大きく傷つけられたことに断腸の思い」とのべ、転換の考えを明らかにしました。

 有識者の検討委員会の提言や県議会、県民の意見などをふまえ、原発に依存しない産業振興や雇用確保、地域づくりなどを検討して、7月中をめどに復興ビジョンを決めるとしています。

 原発の安全性を求める福島県連絡会の伊東達也副代表は、「県民の声からして当然のこと。これからは、ぶれずに10基の原子炉すべてを廃炉にすることです。放射能除染の研究所などを県内につくり、原発のかわりに自然エネルギーの研究、開発、生産の各施設を産業として育成すれば、県民の納得と合意がえられるのではないか」と語っています。